toumei-mobu’s blog

このブログでは自分のやりたい事を探すために僕が挑戦して事や、僕が日々感じた事などを書いていきます。

好きな事で生きていく

今回は「好きな事で生きていく」について考えていきたい。

僕は大学時代、好きな事、やりたい事を探してきた。結局見つかることはなく、これからの時代の中心である「IT業界」に進むことにした。プログラミングは技術職だ。技術職はごまかしが利かず、実力がプログラムにそのまま反映されるので、優秀な人間とそうで無い人間が、ハッキリと別れてしまう。僕は優秀ではない。プログラミング未経験で入社した僕にとって、学生時代からプログラミングをやっていた人と、差があるのは当たり前だ。しかし僕はこの選択に後悔は無い。就活生だった僕は、他にも銀行などを受けていたが、もし銀行に入社していたら、プログラミングをやれば良かったと思うだろう。隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。

 

どんな職場であっても辛いことはあるし、どこかの企業に勤めている人は、みんな辛い思いをしていると思っている。しかし、それは僕にとって何の慰めにもならない。みんなが頑張っているから頑張れ。みんなが辛い思いをしているから辛い思いをしろ。そんなのは負け犬の発想であり、現状を変える努力をしなければ、そこから抜け出すことは出来ない。

 

好きな事で生きていければ幸せかどうかは、その状況になってみないと分からないだろう。その景色を語れるのは、その景色を見た人だけだ。

僕は社会人になっても好きなことは見つからない。苦手なことや、やりたく無いことは、いくつも発見してきたが。どんな成功者にも下積み時代がある。そん下積みを乗り越えて、成功した今があるのだろう。結局は焦らず、毎日一歩一歩進むしか無いのだ。

 

 

 

サボり癖を強制的に直すためのプラン

今回僕が書いていくのは新しい挑戦についてだ。僕は先週からテレワークを実施しているが、仕事のスイッチが入らないのか、サボってだらだらしてしまうことがある。さらに問題なのは帰宅後、平日は勉強や執筆を行っていたのだが、テレワークになり帰宅というものが無くなってしまった。ずっといえにいるというのは、自習力が必要なわけで、僕のような怠け者には扱いきれない働き方のようだ。

 

しかしそこで終わるわけにはいけない。僕は将来、時間とお金からの自由を目標に生きている。それを実現するためには努力は、絶対に外せない要素なのだ。僕は怠けてしまう自分への解決策としてYouTubeに目をつけた。毎日のように行っていた勉強や執筆を動画に撮って、UPしようというものだ。この作戦が上手くいくかはまだ分からないが、とりあえずやってみようと思う。ただ垂れ流しでUPするだけなので、動画としての面白さは何一つないが、目的は面白い動画を作ることではなく、自分を追い込もうというものだ。基本的には毎日UPしていこうと考えているので、何か努力をする人間は、僕と一緒に頑張っていこう。

 

今回はただの報告になってしまったが、この報告をする作業も重要で、自分自身を追い込んでいるのだ。背水の陣。まさにこの言葉がふさわしい。これまでの遅れを取り戻せる事を願う。

世界の真実

「全ての人間は生まれた時点で、どんな人生か決まっている」

このテーマについて今回は書いていく。こんな事を言うと、きっと反論が出るだろうが、君たちの性格や能力は一体いつから身についていたのか。それをきちんと考えて欲しい。自分の力で、自分の人生を切り開いたという人間がいるなら、そんな人に質問したい。「君たちはなぜ切り開くことができたのか?」と。その答えはきっと「自分が頑張ったから」と答えるだろう。なら次の質問は「どうして頑張ることができたのか?」だ。この答えは人それぞれだろうが、その頑張った環境を与えたのは親だろうし、その頑張ることのできる性格を与えたのは、両親と環境ではないだろうか?とにかく最後まで読んで欲しい。

 

 まず生まれた瞬間、自分ではどうする事も出来ないものがある。それは「親の遺伝子」と「家庭環境」と「時代」の三つだ。よく人は生まれ変われるなんて言う人間がいるが、それは嘘だ。「努力できる人間」と「努力できない人間」、どちらがいいか言うまでもないだろう。自分を自分でコントロールできるなら、みんな「努力できる人間」になっているはずだ。しかしよの中には「努力できない人間」もいる。生まれてから、物心つくまでの間に、「よし!俺は努力できる人間になるぞ」と決めてそうなる人間はいない。いつの間にか努力できる人間になっているのだ。みんな、いつの間にかその人間性になっているのだ。細かく説明していく。

 

 親の遺伝子とは、簡単な話であり、頭の良さや運動神経などだろう。単純な例なら親が高学歴なら子も高学歴だし、プロのスポーツ選手を見ても、家族や親戚の中に必ず運動神経の高いものがいる。(何かのスポーツで全国大会に出場など)

こういうことを言うと、親が中卒や高卒でも高学歴の人間がいると言う意見がある。逆に、親が高学歴でも、子が低学歴と言う意見もある。これは簡単な話であり、その人間の環境によるものだ。

 

 元々持っていた能力、つまり遺伝はあっても、環境によって変化してしまう。そしてその環境は大体親が決めるものだ。子供に対して放任主義にするのか、押しつけ教育をするのかなどある。親が子にどのような環境を与え、どのように接し、それが、元々持っていた子の遺伝にどのように作用するのか。これが環境の全てである。親の価値観が子の価値観になってしまうだろう。親が貧困なら、子供は塾に行くことはできないし、元々の素質を持っていても、親の教育と子の性格が合っていなければ、環境として最悪なものとなってしまうのである。つまり遺伝子ごとに、合う環境と合わない環境があるのだ。

 

 次に「時代」についてだ。昭和に生まれた人間と令和に生まれた人間、この二つの人間は必要とされる人間は違うだろう。これも単純な話で、時代によって価値観は変化し、求められている能力は違う。狩猟時代は腕力の高い人間が重宝されたが、現代では知力の高い人間が重宝されると言うことだ。昭和時代には、先輩のいうことにはイエスという、イエスマンの評価が高かったが、今では主体性をもち、時代を引っ張るインフルエンサーが評価されていく。後100年もすれば、昭和の考えは残らず、今インフルエンサーと呼ばれる人間の思考が、当たり前になっていくだろう。

 

このように人間は生まれた時点で、人生は決定していく。これは残酷な話であるが現実である。ではそれを踏まえた上で、自分と向き合ってみよう。自分に出来ること、向いていることは決まっている。それを受け入れることが、自分が幸福に生きる絶対条件なのだ。

 

 

 

 

このブログを始めて一ヶ月が経過した

このブログを始めて一ヶ月が経過した。アクセス数は一ヶ月で30pvほどだった。つまりほとんど誰も見ていないということになるが、このブログには意味がある。

成功者の話や自伝本には、その成功者がどのような考えだったかや、どんな体験をしてきたかが語られるが、僕はそれについてある疑問も持っている。それはその語りは「後付け」なのではないのだろうか。ということである。

 

つまり「成功した今とうまく結び付けて、過去の自分はそこまで考えて無かったが、今思ったことを過去の出来ことに結びつけている」ということだ。

過去の自分の考え方や、思考を捏造しているような気がするのだ。「俺は昔からこう思っていた」「昔からこういう人間だった」。こんな語りをよく目にするが、それは成功した自分が後付けしたものだ。そしてその後付けは、「何を言ったかではなく。誰が言ったかだ」という文化のかげで特別なものとして捉えられている。

 

だから僕は、成功している状態の前に、こうして自分の考えや、思いや行動を記録している。未来の自分が改変する前に、記録に残してしまおうということだ。未来の自分は、今この発言を笑うかもしれないが、今思ったこの気持ちはとても大切なのだ。この気持ちがあったからこそ、未来の心があるように思える。今日の自分が明日を作り、明日の自分が、未来の自分を作っているのだ。

新型コロナからくる新時代

 新型コロナの影響は世界中で拡大していき、この先の未来に数々の不安を覚える人間は多いだろう。新型コロナは人類にとって完全な悪となった。

 このままずっとネガティブになっていても仕方ないので、ここは逆転の発想をしてみたいと思う。この新型コロナの影響によってくる新時代の予測と、ビジネスチャンスを考えていく。

 まずこの新型コロナの影響で打撃を受けたのは、飲食店や小売店、接客業や旅行業界などだろう。もちろんどの業界にも程度の違いはあれど、影響は少なからずあるだろう。逆に儲かっているところはどこだろうか。やはりマスクはもちろん、薬局などは儲かっているだろう。テレワークの普及により、オンラインでできるサービス(オンライン会議やビデオ通話など)や、YouTubeNetflixといったインドアな娯楽が利益を上げている。このまま新型コロナの影響が続けば、今の生活が習慣化してしまう可能性がある。もしかしたら、学校ではオンライン授業、仕事はテレワークが当たり前になるかもしれない。これが成功すれば、勉強を教える塾はなくなり、動画で勉強するのが当たり前になるだろう。

 今回の新型コロナは、新しい時代を作るキッカケを作ったものと考える。オフラインだったものが次々にオンラインになっているのだ。これを自分の世界に落とし込んでいきたい。

 スマートフォンが発売されて、一つの時代が築かれた。スマートフォンはいくつものビジネスチャンスを作ってくれたし、今でも僕たちの生活の様々なものを与えてくれている。今回のコロナも同じなのではないだろうか。このコロナで人間の生活は変化し、そしてその変化にチャンスが生まれる。僕自身もしっかりとアンテナを張っていきたいと考える。

 

 

 

 

 

僕はシステムエンジニア。

 今回はシステムエンジニアとして働く僕の同期について書いていきたいと思う。

 僕の同期に優秀な男がいる。この男は、仕事からの帰宅後彼はプログラミングをやっている。休日もプログラミングをやっている。彼はプログラミンに取り憑かれた男だ。イチローが野球に取り憑かれ、宮崎駿がアニメーションに取り憑かれた人間だ。彼は化け物だ。それをやっているのが当たり前だし、それをやるのが楽しくてしょうがないのだ。僕自身も休日や帰宅後、プログラミングの勉強をする事がある。でもそれは楽しいからではなく、お金を稼ぐための能力を身につけるためだ。その意識の差は大きい。僕がどんなに苦しみながら頑張っても、彼らは楽しくやっているので僕よりも結果的に努力する。

 

 楽しく何かを行っている人間には絶対に勝てない。僕は入社初日にそれを痛感した。だが僕はこの事実に悲観していない。なぜならこの男は、僕にとって有益しか無いからだ。この男は僕の何歩先もプログラマーとして進んでいるだろう。つまりそれは、この男から学ぶことがたくさんあるという事だ。何か困った事があればその男に頼ればいい。しかもその男は独立を目指している。人脈としても悪くは無い。優秀な人間を見て、自分とは違うと思うのは仕方のない事だ。でもそこで諦めずに、そいつから少しでも吸収して、成長することが大事だと思う。

 

 そして何より同じことで、自分よりも頑張っている人間を見ることで、自分自身のやる気につながっている。僕はプログラミングに向いてないし、好きでもない。それでも続いているのは、彼が僕の何倍も努力し、前に進んでいるからだろう。

 

 僕は努力している人間が大好きだ。何かに打ち込んでいる人間が大好きだ。変人だっていい。非常識だっていい。そんな小さな問題は、問題にならない。僕もそんな人間を目指している。僕はその男を心から尊敬している。

 

テレワークになって

 今回のコロナ騒動で、ついに弊社もテレワークになった。今回のこの騒動は、世界中でもかなりの影響を与えている。コロナの影響でイベント関係の仕事や、飲食店、小売店、観光業などが大打撃を受けている。非正規雇用であるアルバイトや、派遣の人間は次々と収入源を失われてしまっている。そしてフリーランスの人間もまた、収入源を失っているのでは無いだろうか。

 フリーターや派遣のような人間は、世間では不安定な職業であり、収入が低いとされている。フリーランスは不安定ではあるが、稼ぎが高いというイメージだろうか。この不安定という弱さが、今回のコロナに突かれてしまったということなのだろ。僕も将来的には独立を考えている。時間とお金からの解放はやはり夢としては素晴らしい。この世界がグローバル化したことで、きっとこれから先も感染症のようなものは増えていくだろう。

 ではここで正社員に目を向けていこう。正社員の良いところをあげるのならば、安定性だろう。どんな質の仕事をしても、基本給分のお金は手に入る。今回の新型コロナで、潰れてしまう会社はあるだろうが、基本的に大きい企業や公務員は残るだろう。しかしここで安定性についてもう少し考えていく。今回のコロナ騒動で、上記にあげた業界は大打撃を受けた。しかしIoTにより、人が行う仕事は減少しつつあるし、テレワークにする事でいらない人材が分ってしまうなんて話もある。

 これらを考えるとこれから職業において安定した仕事を選ぶのなら、正社員という枠ではなく、きちんと未来を見通して業界を選択しなければならない。もちろん僕たちはあと100年もすれば、死んでいるので100年間その業界が持てばいい。

 今の時代は多様性が重視されている。今回の新型コロナにより、自分の仕事について考える人もいるのでは無いだろうか。どんな時代や状況になっても稼げる人間なんてほとんどいないだろう。だからこそ働き方の再定義を自分の中でしなくてはならないなと感じた。