toumei-mobu’s blog

このブログでは自分のやりたい事を探すために僕が挑戦して事や、僕が日々感じた事などを書いていきます。

世界の真実

「全ての人間は生まれた時点で、どんな人生か決まっている」

このテーマについて今回は書いていく。こんな事を言うと、きっと反論が出るだろうが、君たちの性格や能力は一体いつから身についていたのか。それをきちんと考えて欲しい。自分の力で、自分の人生を切り開いたという人間がいるなら、そんな人に質問したい。「君たちはなぜ切り開くことができたのか?」と。その答えはきっと「自分が頑張ったから」と答えるだろう。なら次の質問は「どうして頑張ることができたのか?」だ。この答えは人それぞれだろうが、その頑張った環境を与えたのは親だろうし、その頑張ることのできる性格を与えたのは、両親と環境ではないだろうか?とにかく最後まで読んで欲しい。

 

 まず生まれた瞬間、自分ではどうする事も出来ないものがある。それは「親の遺伝子」と「家庭環境」と「時代」の三つだ。よく人は生まれ変われるなんて言う人間がいるが、それは嘘だ。「努力できる人間」と「努力できない人間」、どちらがいいか言うまでもないだろう。自分を自分でコントロールできるなら、みんな「努力できる人間」になっているはずだ。しかしよの中には「努力できない人間」もいる。生まれてから、物心つくまでの間に、「よし!俺は努力できる人間になるぞ」と決めてそうなる人間はいない。いつの間にか努力できる人間になっているのだ。みんな、いつの間にかその人間性になっているのだ。細かく説明していく。

 

 親の遺伝子とは、簡単な話であり、頭の良さや運動神経などだろう。単純な例なら親が高学歴なら子も高学歴だし、プロのスポーツ選手を見ても、家族や親戚の中に必ず運動神経の高いものがいる。(何かのスポーツで全国大会に出場など)

こういうことを言うと、親が中卒や高卒でも高学歴の人間がいると言う意見がある。逆に、親が高学歴でも、子が低学歴と言う意見もある。これは簡単な話であり、その人間の環境によるものだ。

 

 元々持っていた能力、つまり遺伝はあっても、環境によって変化してしまう。そしてその環境は大体親が決めるものだ。子供に対して放任主義にするのか、押しつけ教育をするのかなどある。親が子にどのような環境を与え、どのように接し、それが、元々持っていた子の遺伝にどのように作用するのか。これが環境の全てである。親の価値観が子の価値観になってしまうだろう。親が貧困なら、子供は塾に行くことはできないし、元々の素質を持っていても、親の教育と子の性格が合っていなければ、環境として最悪なものとなってしまうのである。つまり遺伝子ごとに、合う環境と合わない環境があるのだ。

 

 次に「時代」についてだ。昭和に生まれた人間と令和に生まれた人間、この二つの人間は必要とされる人間は違うだろう。これも単純な話で、時代によって価値観は変化し、求められている能力は違う。狩猟時代は腕力の高い人間が重宝されたが、現代では知力の高い人間が重宝されると言うことだ。昭和時代には、先輩のいうことにはイエスという、イエスマンの評価が高かったが、今では主体性をもち、時代を引っ張るインフルエンサーが評価されていく。後100年もすれば、昭和の考えは残らず、今インフルエンサーと呼ばれる人間の思考が、当たり前になっていくだろう。

 

このように人間は生まれた時点で、人生は決定していく。これは残酷な話であるが現実である。ではそれを踏まえた上で、自分と向き合ってみよう。自分に出来ること、向いていることは決まっている。それを受け入れることが、自分が幸福に生きる絶対条件なのだ。